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何かをできるようになるために必要なのは「できるようになりたい」と思うこと

今日はね、 何かをできるようになるためには そのことをできるようになりたいと思うことが何よりも一番必要なんだ、 っていう話なんですけれど。 もうタイトルで全部言ってしまってるんですけれども、まあ読んでいってください。 例えばの話、東大に行きたいって思ってないやつは東大にはいけないわけですよね。 行きたいと思って努力をして、その結果合格するわけで。 行きたくもないのに努力をするっていうのは、 これはかなりの無理難題だと思います。 なんか教育害悪ママみたいなのがいますけれども、「勉強しろ勉強しろ」って言っても本人がやりたいと思ってなかったら結局はやらないわけですよ。 ちょっとこの例えが合っているのかわからないんですけれども、 栄養学をやってる友達に聞いた話で、 いかに栄養のあるものを食べても、「まずいなあ」って思いながら食べたらうまく栄養が吸収されない らしくって。 勉強も同じなんじゃないかなって思います。 いかにすごい先生とか、すごい参考書とかで勉強してても、 自分ができるようになりたいって思ってないとできるようにはならないだろうって、 まあ僕なんかは思ってるんですね。 人によっては、「もう親とか先生とかの言うがままにやってたらできるようになってた」みたいなそういう人もたまにはいますよ。 その人は多分才能があるんですね。 「やってたらできちゃう」みたいな。 「やりたいとかやりたくないとかじゃなくて、やればできるだろ」みたいな。 そういう感じなんだと思うんですけれども。 ただね、いくら才能とか素質とかのある人でも伸び悩む時期っていうのがどうしてもやってきますよね。 なんか「今までと同じようにやってるのに今までと同じようには結果が出ないっていう時期」っていうのが必ずやってきますよね。 そういう、「え、全然ダメやん。全然伸びないやん」っていう時期に、 「いやもっと頑張ろう」って立ち直らせてくれるものっていうのは、 やっぱり 「それでもやりたいから」 だと思うんです。 もちろんその勉強をすること自体が目標じゃなくて「いい大学に入りたい」とか、 「いい大学に入ってモテたい」とか 、 「いい大学に入ったらいい仕事つける」とか、 まあモチベーシ...

僕は視野が狭い。自分と似たような人としか出会っていない

最近ちょっと考えていることがあって、 日本の統計とかいろんなデータとか見てて、進学率のデータを見ながら考えていたんですけれど。 まあ高校進学率が98%とかで、大学進学率が50%超えてて、高学歴化が進んでるんだなーって思いはあるわけです。 ただ逆に、 大学進学率で50%そこそこなんだ! って思って。 その、50%ってことはシンプルな話、 100人とランダムに喋れば 50人は「大学行ったことないです」っていう人と出会わないとおかしい はずなんです。 そんなことはないよなーと思いまして。 あくまで僕の感覚ですけれども、僕の生活圏の中でランダムに100人しゃべったら90人ぐらいは大卒もしくは大学在学中になるんですよね。 別に「俺の交遊関係は高学歴だぜスゴいだろ」みたいな話がしたいんじゃなくて。 僕自身もね、浪人したり、留年したり、中退したりして、 その中で色んな仕事とかもして、 結構いろんな人と出会ってきたと思っていたんです。 「勉強教えて!」って色んな人に言われるので、 浪人生だったり、ホストだったり、10歳も20歳も上のおじさんだったり、 いろんな人に勉強を教えてきたと思っていたんです。 でもそれって、あくまで大学っていうのに入ってた人か、もしくはそれを視野に入れてる人 としか出会ってないということに改めて気がつきました。 これはその、みんなも大学に行った方がいいよとか、そういう話をしてるんじゃなくて。 結局何が言いたいかって言うと、 いろんな人と出会ってきたつもりでも結局自分と似たような人としか出会ってこなかったんじゃないか っていうことなんですよね。 そういうことを最近思い始めて、 あくまで自分の見てる世界で、 自分の知ってる人達で、 僕の感覚っていうのは作られてるわけです。 結局自分と似たような人としか出会ってないんだなーって思って。 もしかしたらどこかで出会ってはいるのかもしれないんですけど、まあしゃべってはないなと。 そうしたらなんか、 僕が今知ってることっていうのも高が知れてるし、 ましてやこれから出会う人のために、 まだ出会ってもない人のために何かをしようなんて、 逆におこがましいんじゃないかっていう気分に...

人間関係に疲れた。自分のスタンスを明確にすることについて

最近 「いい人すぎて自分が疲れちゃう」 みたいなことが、 結構自分の周りの知り合いとかでいっぱいて。 すごいいい人なんだけど、いい人であるがゆえに周りに気を使いすぎて全然自分の言いたいことも言えないし、 自分の時間も取れないし、 神経すり減らしています。 みたいなそういう知人が結構いて。 心配だなーって思いますし、何とかしてあげたいんですけれども。 ただね、僕がそんなお説教みたいなことできるような立場でもないし、 僕自身がすごい不安定な身分ですし、 偉そうなこと言うのもなーって思うので。 まあこういう一般公開できる形にしておいて、ちょっとまあ時間のあるときに見てくれたらいいかなぐらいの感じで、 一応記事にしておこうかなと思います。 「いい人すぎて疲れる現象」を脱却するために何が必要なのかなって考えた時に、 やっぱり 「自分はこういう人間です」 っていうのをはっきり言ってしまった方が楽になるんじゃないかっていう話です。 自分のスタンスを決める。 いろんな人に味方しようとするから疲れるのであって、 自分はこのスタンスでやってますっていうのをちゃんと出したら少しは疲れなくなるんじゃないかなって。 要するに 堂々としてればいい っていう話でして。 すごい極端な話ではあるんですけれども、 「新聞赤旗は共産主義に偏ってる」 みたいなそんな叩き方する人っていないんですよね。 「共産主義は間違っている」とか、 「あいつらは共産主義を理解できていない」とか、 そういう叩き方はあり得るでしょうけど。 赤旗が赤いのはもう当たり前の話であって、 むしろ赤いからこその赤旗みたいなそういうところはあるので。 あの人たちが 「共産主義はすごいんだ」 っていうことを言ってももう誰も何も思わないわけですよ。 むしろ一見「公平に報道してます」みたいな顔して偏向報道してると叩かれると思いますよ。 あそこまで自分のスタンスがあると逆に叩かれないんですよね。 あともうちょっと違う話なんですけれども、 「京都に高層ビルがない」とか 「京都にもあべのハルカスみたいな高層ビルを作れ」 みたいなそんな叩き方をする人もいないですよね。 京都市はもうずいぶん前から...

「勤務時間中にタバコ休憩があるのはずるい」←わかる

最近すごい考えてることがあって、「タバコ休憩を何回も行くのはずるい」みたいなそういう話ってありますよね? 吸わない人はちゃんと休憩時間に休憩してるのに、タバコ吸う人は休憩時間以外の休憩時間があるのはおかしいっていう。 そういう意見があるじゃないですか。これ めちゃめちゃ真っ当な意見 ですよね。 だってシンプルに休憩時間の量が違うから不公平ですし、何でお前だけいっぱい休憩できるの?みたいな、 それは一理どころか百理くらいあると思うんですよ。 めちゃめちゃよくわかります。 うちの会社にもいるんですよ、そういう上司が。 何回も休憩行く人が。 「お前どんだけ休むねん」、みたいなね。 「しかも普通の休憩時間もあるんかい」っていう。 この不公平感はめちゃめちゃあって、それはよくないなって話なんです。 《他にもっと悪いことはないか?》 ただね、「こういうのよくないよね!バイバイ!」っていうのは思春期おじさんらしくないですよ。 ここでひとつ言っておきたいことがあって、じゃあ「休憩せずにずっと仕事してる人は本当にずっと集中してるのか」っていうのはちょっと疑問ではあるんですよね。 だってまあ、例えばデスクワークの人とかでも、座ってる間ずっと集中してるなんてことってなかなかないと思いませんか? それって逆に難しくって、確かにこう2時間、3時間机に座ってることはできるのかもしれないですけれど、 その2時間3時間の間「ずっと集中してるか」と言われたらちょっとそれは疑問と言うか 、ほぼ不可能ですよね。 《例えばの話》 これはあくまで可能性ベースの話なので何か具体例があるわけじゃないんですけど、 もしかしたら例えば1時間のうちの55分は超人的に集中して5分タバコ吸ってる人っていうのがいるのだとすれば、それはそんなに悪いことじゃないですよね? むしろ良い働き方だと思うんですよ。 自分の働き方をよくわかってる、できる人ですよね。 もちろんここで何回も休憩に行ってるっていうのは間違いないんですけれども、 じゃあ仕事してるポーズだけしていて本当は仕事してない人はずるくないのかと言われたら、それはちょっと返事に困るみたいなところはあるじゃないですか。 ここで挙げている例は極...

境界が溶けゆく激動の世の中で大切な力について

最近あらゆるものの境界が溶けてきていると感じています。 何か具体的な線じゃなくて人生一般の抽象的な話なんですけど、ちょっと聞いてください。 《人生のフェーズを区切る意味はあるのか?》 20年30年前だったら 人生の中で 「 勉強する時期」、「仕事をする時期」、「老後を楽しむ時期」、みたいな感じで人生の中で区割りがはっきりとあったと思うんですけど、今って その境界がどんどん溶けてきてます よね。 学生だってもちろんアルバイトしながら学校行ったりするし、社会人でも仕事しながら勉強してるし、どっちがどっちである必要っていうのはあんまりなくて、 何て言うのか、肩書きが何であってもいろんなことができますし、むしろどっちもがどっちもやらないといけないみたいな、そういった側面は間違いなく出てきています。 ついでに言えば定年 制度 もなくなるみたいな議論が最近されてますけれども、 老後を楽しむみたいなゆとりのある時間っていうのはそんな多くはなくて、 勉強と仕事と趣味っていうところの境界がどんどんなくなってきてるなっていう思いはあるんですね。 だから人工的に境界を作る意味もそんなにないなっていう気はしてて。 極端な話、例えば 3月31日と4月1日で自分の中で何かが変わったわけでもない のに、ここまでは学生です、ここからは社会人ですって分ける必要性ってあまりなくて、 「自分が変わりたいって思ったタイミングで変わったらそれでいいんじゃないのかな」という思いは自分の中にあるんですよね。 《結局自分は何者なのか》 だから、肩書きがどうこうじゃなくて、 「 自分はこういう人間です」っていう 個々人のアイデンティティ っていうのが今後はますます求められていくようになっていきます。 「自分はこの会社の人間です」とか、「この学校の人間です」っていうことしか喋ることがないっていう人は今後生きにくくなっていくんじゃないかなって思って。 これは大いに 自戒の意味を込めて書いて いるんですけれど、自分自身もそういった不安をすごく感じてて、いわゆる所属っていうのを欲しがってしまいます。 浪人してるときなんかは学校も行ってないし就職もしてないし、肩書...

社会を知る近道は中学公民を学びなおすことだ

報告です! 大人こそ知っておきたい中学公民学び直し ( https://www.otonakouminn.com/ ) というサイトを作りました! 何の前置きもなく突然この話始まってしまったんですけど、最近、中学生の公民を解説するサイトを作っていまして、 何をやっているのかというと公民を解説するサイト作っているっていうくらいのことしか言えないんですけれど。 《いったい何のために?》 なぜそんなことをやっているのかというと、結論から言えば「もっとちゃんと勉強したい」とか「改めて考えると勉強たのしいよね」っていう大人のために作って います 。 大人が中学の公民を学び直すっていう時に見てほしいなみたいなサイトではあるんですね。 僕は大学で公共政策を専攻しているんですけれども、その公共政策の勉強をしてるうちに「民主主義が・・・」とか「公平な社会は・・・」とか経済的なこととか「需要と供給が・・・」みたいなこととかを勉強するんですね。 なんかそれって冷静に考えたら「結局全部公民の教科書に載ってたな」って思って、それ全部中学でやるやん!みたいな感じで思って。 だから逆に考えればこの中学レベルの公民をみんながきっちり理解すれば、社会科学専攻の大学生と同じくらいの知識が誰でも得られるんじゃないかなって思った次第で。 じゃあやればいいやんと思ってこうやってサイトを作り始めたわけなんです。 《公民って面白くないよね・・・》 ただそうは言っても、自分が中学の時とかのことを考えてみると、公民って「おもんない教科ランキング」の結構上位を占めるみたいな感じがあるっていうか、あまり好かれがちな教科とは言えないですよね。 まあ僕がそうだったんですけれど。 基本的に楽しい時間では無かったような記憶がある人も多いはず。 でも 一度理解した上でもう一度やってみると案外面白いな と思っています。 何て言うんですかね、この喩えが合ってるかはわからないですけれど、RPGで 「2週目からが本番」 みたいな 、「強くてニューゲームです」 みたいな状態に今なっているんですよ。 強くてニューゲームめっちゃ楽しい!みたいな。 特に大人の場合、 自分が今...

「常識的に考えてそんなことしない」常識って何?

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こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 例えばの話、電車や公園などの公衆の面前でイチャイチャするカップルを見てどう思いますか? 「人前でそんなふしだらな!けしからん!」と思う人もいるでしょうし、 「海外では普通だし、別に良いんじゃない?」と思う人もいるでしょう。 どちらの主張にも根幹には「自分の思う普通な事との比較」というのが横たわっています。 この”普通””常識”という言葉は大層曲者ですね。 《あなたの常識はいつのものか、どこのものか》 「普通に考えて・・・」「常識的に・・・」 という言葉はとても一般的でよく使う文句でありながら、一方でほぼ何も説明していないに等しいです。 「人前でイチャイチャするのは非常識だし無礼だ」と考えるのは昔からの日本の常識ですね。 奥ゆかしさや品性を大切にする文化から導き出されるものです。 一方で「恋人同士が愛情表現をするのは普通のこと。人前でキスしても問題ない」というのは欧米では普通のことですね。 パリとかでキスしてる人を見ても特に何とも思わないです。 近年はグローバル化が進み、日本人が海外に行くこともあれば、外国人が日本に来ることも沢山あります。 人も文化も混じり合っているので、当然ですが”普通の感覚”も混じり合っていきます。 だから日本の常識や価値観が変わっていくこと自体は何ら不思議ではないのです。 《常識 -common sense とは》 語学的には、日本で「常識」という言葉が使われてきた歴史はそれほど深くはありません。 開国後、英語のcommon senseを日本風にアレンジしたのが「常に存在する意識=常識」なのです。 そして、このcommon senseという言葉を辞書で引くと、 the basic level of practical knowledge and judgment that we all need to help us live in a reasonable and safe way (Cambridge dictionary ) the ability to behave in ...

苦手科目を克服する方法。好きこそものの上手なれ

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こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 受験勉強とかをしていると、苦手科目ってどうしても出来てきますよね。 「自分は文系だから数学が苦手」 「古典なんて役に立たない」 そういった声は途絶えることがありません。 参考: 文系だから数学苦手?本当にそうですか? 僕はシンプルに古典が苦手でした。 助動詞の活用とか文法的意義とか、全然わかりませんでした。 逆に苦手とする人が多い理科や数学は割とできました。 はて。 苦手科目ってなんだろう。 考えてみれば、世の中には万人に共通する”苦手科目”というものは存在しない んですね。 僕の得意科目が誰かの苦手科目だったりする。 つまりこの 得意・苦手という概念に普遍性はなく、すべて個人の主観に委ねられている のです。 分かりやすく言うと、苦手科目というものは予め存在するものではなく、 自分が苦手と感じた科目が苦手科目になる。 要は自分自身で苦手科目を作り出しているんですね。 自分が苦手と思ったものが苦手科目です。 そう思って 自分の勉強を振り返ると、古典が得意か苦手か以前に、古典に対してそれほど勉強時間をあてていなかった んですね。 苦手なんじゃなくて、 ”努力を怠っている” そして、どうして努力を怠ったのかと考えると結局は ”好きじゃないから” という所に行きつく。 好きじゃないから勉強しないし、勉強しないから点数が上がらない、苦手になる。苦手だから楽しくない。 シンプルな話です。 ここまで来たら苦手克服の糸口は掴めています。 要するに、 好きになればいい 。 基本の文法用語の暗記とかは後回しにして、面白さを感じるトピックに触れたり、この話は興味あるなというものを深掘りすればいいのです。 好きとか嫌いとか関係ない!受験に必要だからやるんだ!というようなストロングハートをもって勉強してきた方もいるとは思います。 受験の為に一直線に努力できる人は別に良いのですが、残念ながら僕はそういう人間ではないのでこれが一番でした。 具体的に言えば、徒然草ばっかりずっと読んでいました。笑 「徒然草がわかる」みたいな解説本...