人間関係に疲れた。自分のスタンスを明確にすることについて




最近「いい人すぎて自分が疲れちゃう」みたいなことが、
結構自分の周りの知り合いとかでいっぱいて。

すごいいい人なんだけど、いい人であるがゆえに周りに気を使いすぎて全然自分の言いたいことも言えないし、
自分の時間も取れないし、
神経すり減らしています。

みたいなそういう知人が結構いて。

心配だなーって思いますし、何とかしてあげたいんですけれども。


ただね、僕がそんなお説教みたいなことできるような立場でもないし、
僕自身がすごい不安定な身分ですし、
偉そうなこと言うのもなーって思うので。


まあこういう一般公開できる形にしておいて、ちょっとまあ時間のあるときに見てくれたらいいかなぐらいの感じで、
一応記事にしておこうかなと思います。





「いい人すぎて疲れる現象」を脱却するために何が必要なのかなって考えた時に、

やっぱり

「自分はこういう人間です」

っていうのをはっきり言ってしまった方が楽になるんじゃないかっていう話です。


自分のスタンスを決める。

いろんな人に味方しようとするから疲れるのであって、
自分はこのスタンスでやってますっていうのをちゃんと出したら少しは疲れなくなるんじゃないかなって。


要するに堂々としてればいいっていう話でして。


すごい極端な話ではあるんですけれども、
「新聞赤旗は共産主義に偏ってる」
みたいなそんな叩き方する人っていないんですよね。

「共産主義は間違っている」とか、
「あいつらは共産主義を理解できていない」とか、
そういう叩き方はあり得るでしょうけど。


赤旗が赤いのはもう当たり前の話であって、
むしろ赤いからこその赤旗みたいなそういうところはあるので。

あの人たちが
「共産主義はすごいんだ」
っていうことを言ってももう誰も何も思わないわけですよ。


むしろ一見「公平に報道してます」みたいな顔して偏向報道してると叩かれると思いますよ。


あそこまで自分のスタンスがあると逆に叩かれないんですよね。







あともうちょっと違う話なんですけれども、
「京都に高層ビルがない」とか
「京都にもあべのハルカスみたいな高層ビルを作れ」
みたいなそんな叩き方をする人もいないですよね。


京都市はもうずいぶん前から条例で建物の高さ制限とかをしてて、


「観光で売っていく」
「景観を守る」
っていうことを大切にしてるって言うのはもう内外にはっきり言ってるので、

今更その点に関して叩かれることはありえないわけですよ。


これもスタンスをはっきりさせてます。







あともうこれはもう超ド級で極端な例なんですけれども、
「お寺はキリストの教えを守ってない」

とかそんな叩き方はありえないですよね。


当たり前なんだから。
もう信じてる宗教が違うんだから。

やり方が違うのも当たり前で、そんなことで叩かれることはありえないわけです。







結局何が言いたいかって言うと、まあ繰り返しなんですけれども、

「自分はこういう考え方です」って、
「自分はこういうスタンスでやってます」って、

そういうことをもう普段から示しておけば、いらぬ誤解を招くことも少なくなるし、
普段からちゃんと言っとけばその価値観に合う人だけが集まってきます。


それが合わない人は関わらなければばいいので。

その方が精神衛生的にはいいのかなっていう気はしてます。

飲み会が嫌なら飲み会は苦手と普段から言っておく。
アニメが好きならアニメが好きと不断から言っておく。

そうしておくと飲み会を断っても「でた、いつもの」くらいにしか思われないですし、
何かの弾みで同じ趣味の人と知り合えるかもしれないですよね。






もちろん限度ってのはありますよ。

攻撃的になれとかそういうことを言ってるわけじゃなくて。


まあ例えば職場の上司とか、最低限付き合わんといけない人っていうのは付き合わんといけないと思ってます。

「人間関係はどうでもいい。気にするな」
みたいな話をしてるんじゃなくて。

摩擦が起きない程度にやればいいじゃんっていう話でして。



上司とかだったら仕事に支障がない程度のコミュニケーションはとって、
それ以上の深い話をするかどうかは合う人だけすればいいじゃんっていう話です。

コミュニケーションをとらなくていいっていうことではないし、むしろ円滑にコミュニケーションをとることで仕事もはかどると思うので。
そこはちょっと誤解がないようにして欲しいなあとは思ってます。






でもまあ「好きでもない人のために自分が苦しむ必要はないよ」
っていう話ではあって、

「本当に付き合いたい人」と、
「付き合わなければならない人」っていうのはやっぱり時間の使い方ぐらいは差をつけてもいいんじゃないかとは思っています。


時間とか、あとは気持ちですね。


嫌いな人のために自分の頭のリソースを割くのはもったいないと思ってるので。
頭の中嫌いな人の顔で埋め尽くされてるのってどう考えても人生の非効率でしょ。


円滑にコミュニケーションをする。
でもいい人になりすぎない。

っていうことです。

これもまあセンシティブな話ではあるんですけれども、
そのキワキワのラインっていうのを見極めて行けたらもっと楽しく生きられるのにな、
っていう話でした!



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