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10月, 2017の投稿を表示しています

善意では解決しない!環境を守るための制度とは(環境税・排出権取引)

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前の記事、 なぜ環境を守る?環境経済学の考え方を紹介! でも少し触れたように、 人々の善意に訴えかけるような、お涙頂戴的な取り組みでは環境問題は解決しません。 短期的には環境問題を気にせずに生活する方が便利に暮らせますし、自分が少しサボっても他の人が頑張ってくれたら環境問題は大丈夫だとみんなが思っているのでなかなか問題解決には向かいません。(ゲーム理論などでも取り上げられます) 学問的に大事だと言われているのは、 人々に環境を守る インセンティブ を与えること です。 つまり、 環境破壊をすると自分が損をする、或いは環境を守った方が自分が得をするという状況を作り、環境保護に向かわせるための積極的な動機を人々に与えることが有効 だとされています。 そしてその損得勘定の基準となるのがお金です。 これは極めて分かりやすい。 大半の人にとってお金は大切なので、金銭的な損得をもとに人々の行動を変えさせるというのは理にかなっているといえます。 では実際どういった取り組みがなされているのか見ていきましょう! 《法的な規制》 これはわかりやすいです。 例えば「汚染物質を基準量以上に排出したら罰金」というような法律があれば、人々に汚染物質を削減する動機が生まれます。 進んで罰金を払いたい人はいないので、削減努力をするという方向に向かいます。 日本の法律でいえば、 大気汚染防止法 、 水質汚濁防止法 などにそのような項目があります。 非常に単純で分かりやすいインセンティブですが、難しいのはその基準量をどうやって決めるかです。 甘い規制だと意味がないし、厳しすぎる規制だとまともな経済活動ができなくなります。 排出基準が厳しすぎると、環境には良いでしょうが、経済発展には悪影響が出ると考えられるので、そのあたりのバランスを考えながら法規制がされています。 (この辺りの決定は、ミクロ経済学的な分析をもとに考えられています) 《経済的な誘因》 法律で決めてしまう以外にも、人々に自発的に環境破壊を控えるようなシステム作りも考えられています。 ・環境税 国によって呼び方は様々ですが、要するに環境に悪そうな財やサービスの取引に対して...

なぜ環境を守る?環境経済学の考え方を紹介!

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こんにちは、こんばんは! 今回は 環境問題 を取り上げていこうと思います。 環境問題というと、水俣病や四日市ぜんそくのような公害であったり、地球温暖化のような大規模なものであったり様々なのですが、ここでは環境という言葉を 「人間が健康で快適に暮らせるための環境」という意味 で使っていきます。 (人間本位の少々身勝手な視点だとは思いますが、例えば植物目線で議論を進めてもあまり得るものは無いと思うのでこれでいきます) サミットなどでも度々議論されるように、世界的に危機感をもって対策を進めるべきだとされている環境問題ですが、そもそもなぜ環境を守る必要があるのでしょうか? まずはそこから整理していきましょう! 完全マンツーマンの英会話スクール【START-UP ENGLISH】 《なぜ環境を守るのか》 ・自然資源の利用 例えば木を切って材木にしたり、農作物を食べたりといったことは日常的に行われています。 このような活動がなくなってしまえば困るというのは当たり前です。 基本的にこのような自然資源は植林する、手入れをするといった形で繰り返し再生産ができるものですが、 自然の再生産スピードを越えて人間が利用している ので環境破壊が起こっているというのが現状です。 ・汚染の吸収・浄化 例えば僕が少しくらい水や大気を汚したとしても、時間の経過とともに汚れは拡散、希釈し、全く気にならないレベルになるはずです。 また植物や微生物などの働きによってある程度の汚染は吸収されます。 多少の汚染であれば、環境は自動修復するものです。 しかし今はその 修復能力を超えて人間が汚染物質を排出している ので、環境破壊が進んでいると考えられます。 ・アメニティの供給 アメニティ とは、 心地よさや快適さといった意味 です。 自然風景を見て綺麗だな、森林浴をして落ち着くな、といった感覚を指して言います。 これがなくなってすぐにどうこうといった問題は無いのかもしれませんが、長期的に考えればアメニティの無い世界というのは生きにくいでしょうし、実際に精神的な問題を引き起こす可能性もあります。 (ナチュラルセラピーというものもあるように、自然が...

幼馴染と約10年ぶりに再会して涙した話

先日、約 10年ぶりに幼馴染と偶然出会った。 (この人物を仮にSとしておく) Sとは家が近く同い年で、小学校と中学校が同じだった。 幼いころから仲が良く、頻繁に一緒に遊んでいたのだが、中学を卒業してからは特に喧嘩をしたという訳でもないのになんとなく疎遠になっていた。 思えば子供の頃は、家が近いとか学校の席が近いとか、そういう理由で仲良くなることができた。 趣味や性格が違っても一緒に遊ぶことができた。 今とは違って携帯電話はごく一部の人しか持っていないものだったからインターネット上の友達なんてものはいないし、何よりも物理的に距離が近い、何度も顔を合わせるということが仲良くなる条件だったのだろう。 地元の友達とはそういうものだ。 だが、逆に言えば家が近い以外の共通点がない。 もちろんある場合もあるが、その確率は低い。 趣味や性格が合うことも少ないし、高校に行けば学力別に分断される。 僕たちはいつまでも子供ではいられない。 家の近さより大事なものが増えていく。 そして実際毎週のように遊んでいた僕と Sも、高校に入ってからは会うことがなくなった。 ケータイの連絡先さえ知らなかった。 家が分かってるんだからその気になればいつだって会えると思っていたのだ。 しかし結局その気になることもないまま 10年近くが経っていた。 そんなある日のこと。 いつも通りに仕事をし、帰りの電車に乗ろうとしたところ、数秒の差でお目当ての電車を逃してしまった。 ついてないなと思いつつ、無表情に次の電車を待った。 10分程で電車は到着した。 その電車に乗った瞬間にある人物と目が合った。 それが Sである。 10年近く会っていない間に髭が濃くなり、少々ふっくら と していたが、間違いない、Sであった。 或いは、と僕は思う。 或いはもっと遠くで Sの姿を見つけていたとしたら、僕は声を掛けただろうか。 10年間一言も交わしていないのだ。 話しかけたとしても素っ気無い対応をされるかもしれないし、 Sにとっても迷惑かもしれない。 そんな事を冷静に考えたとしたら、気付かないフリをするとい...

不自由なんか無いこの世界で、どんな自由を願ったらいい?

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突然ですが、僕は平成初期の生まれで、生まれてからずっとバブル崩壊後の不況が続いています。 失われた十年とも二十年とも言われる中でずっと育ってきた訳です。 でも、それでも。 国全体としての生活水準は上がっている と思います。 それは技術革新のお陰だったり、様々なものの恩恵にあずかっていると思うのですが、とにかく 社会全体が衰退しているということはない と思います。 冷静に自分の家や友達の家を見回してみると、テレビ・パソコン・エアコンなどといったものは大抵の家にあります。 特に裕福でなくてもです。 「昭和の三種の神器」とか「3 C 」などと言っていた頃とは比較にならないほどいい暮らしをしています。 また、食べ物に関してもそうです。 今の僕なら、ちょっと奮発すればお寿司が食べられます。 100年か200年くらい前だったらどうでしょうか。 海辺の町にでも住んでいない限り、一国の王様であっても新鮮な生魚を食べることはできなかったでしょう。 更に言えば現代の日本は大抵どこにいても清潔な水が手に入りますね。 これもすごいことだと思います。 やはり、社会全体が大きく進んでいる。 前か後か、横なのか、わからないけど、とにかく動いている。 今の日本の便利さが良い事なのか悪い事なのかは様々な意見があると思いますが、 便利になっているのは間違いない です。 喉が渇いたら蛇口をひねればいい。 お腹が空いたらコンビニに行けばいい。 寒かったらエアコンをつければいい。 すごい、便利。 また、国家権力による思想統制も無く、 精神的自由も憲法で保障 されています。 「 安倍 はクソ」などと、Twitterで言ってもまあ逮捕されることはないです。 これほど便利で自由が保障された国、日本。 であるにも関わらず、 生きにくい時代になった という声が聞かれます。 この”生きにくさ”の原因は一つではなく、様々な要因が複雑に絡み合って時代の雰囲気を作っているとは思うのですが、敢えて一つ挙げるとしたら、モチベーションを向上しにくくなったということでしょうか。 比較対象としてわかりやすいのが、 高度成長期 。 ...