言葉は現実になる。認知的不協和を利用して自分を変えよう
こんにちは、こんばんは。 思春期おじさんです。 例えばの話ですけど、自分はそれほど嫌いでもない人の悪口を友達が言っていて、その話に合わせているうちに自分もだんだんその人のことが嫌いになっていってしまう・・・ っていう感じ、なんとなくわかりますかね? 似たような事例は結構ある気がします。 この現象、心理学的には 認知的不協和 が原因の一つであると言われています。 《認知的不協和》 認知的不協和 とは、 自分の中で矛盾する二つの認知を同時に抱えると不快な気持ちになる というものです。 冒頭の例でいえば、「悪口に合わせてしまった事実」と「その人のことをそれほど嫌いでもないという感覚」が矛盾してしまっているのです。 そして、「悪口に合わせてしまった事実」の方は変えることができないので、自分の感覚の方を変える(本当に嫌いになってしまう)ことで事実関係に整合性を持たせて不快感を解消するのです。 《酸っぱいブドウの話》 イソップ童話に酸っぱいブドウの話がありますね。 お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。 というものです。 これも認知的不協和で説明できますね。 「おいしそう、食べたいという気持ち」と「何度跳んでも届かないという事実」の間にズレが発生しています。 届かない事実は変えることができないので、気持ちの方を変えてしまった のですね。 《ここから学ぶことは》 イソップ童話はあくまでフィクションですが、似たようなことは僕たちも結構やっているんじゃないかと思います。 卑近な言葉でいえば「負け惜しみ」みたいなこと、ついやってしまいます。 ダメだよね、良くないよね、という話ではなくて、このような心の働きがあるからこそ過剰なストレスを抱えずに生きていけるという考え方もできます。 毎回毎回「クソッ、ブドウが取れない!」といった感じでまともに...