「自己肯定感」「自尊心」は誰が育てるか
こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。
塾の非常勤講師もなんだかんだ6年やってきたのですが、なんだかやる前から諦めている子が増えた気がするなあと思います。
もちろん、限られた場所、限られた時間、限られた人数しか見ていないのであまりこういうことを言うべきではないのですが、感覚的には一部のトップクラスの生徒のレベルは上がっている反面、平均レベルの知識や技能が落ちている印象です。
10年や20年で遺伝子レベルから劣化しているということはまず考えられないので、やはり環境やモチベーションの問題かなと思います。
《よく聞く言葉は・・・》
ここ近年生徒と話していてよく聞くのは、「どうせ私は・・・」「所詮僕は・・・」から始まる話です。
失敗して傷つくことがないようにという自己防衛を無意識のうちにやっているのでしょうが、これを言っている限り、成功することはありません。
僕だって少し前は彼らの立場だったので言い分はわかります。
学校では何かにつけて点数を付けられますし、注目を集める人と注目されない人の差も出てきます。
勉強が苦手でもなにか別のところで能力を発揮できればよいのですが、みんなで学校の環境に浸かっているとそれも難しいです。
友達同士では気付きにくいような目立たない子の良いところを親や先生が見つけてくれればいいのですが、その人たちも一緒になって「どうしてできないんだ!」みたいなことを言ってしまったりもします。
特に堪えるのは「比較されること」ですかね。
他人と比較して自分の劣っていることを示されるとダメージが大きいですね。
テストの点数や偏差値は明確な数値データが出るので反論もできないです。
毎日そんな話をしていると自尊心が削られるのもわかります。
《高学歴でも学歴コンプレックス》
名門大学の人でも学歴コンプレックスを持っていることが結構あるんですね。
京大の人でも東大を意識してしまったり、東大の人でも海外の大学を意識してしまったりする場合もあるようです。
自分より勉強ができる人なんて世の中探せばいくらでもいますし、同じ大学の中でも当然学力の差はついていくので、誰もが何かしらのコンプレックスは持っているのかもしれません。
《塾でよく言うこと》
塾は資本主義経済の一部なので、学校的な美辞麗句はあまり使いたくありません。
信じる者は救われるとか言いません。
努力は報われるとも人間は平等とも思いません。
なんだかんだいってもやっぱり才能や素質の違いはあります。
努力が報われないこともあります。むしろ報われないことの方が多いです。
「頑張ったけど失敗した」「努力したけど入試落ちた」なんてことは当たり前にあります。
「努力したからといって成功する保証は無い」にも関わらず「成功している人はみんな努力している」という厳しい条件でできている世の中です。
でも、
「成功する保証も無いのに努力できる人ってめちゃめちゃカッコイイと思わん?」
この話をしてグッと集中が高まる子もいれば、現実の重みに耐えられない子もいるのですが、そこでカギになるのが「自己肯定感」なんですね。
《本当に苦しい時に力を出すのは自己肯定感の高い人》
自己肯定感は何も「俺すげええええ!!!!」という感覚ではなくて、「自分はすごくないけど、こういう頑張り方はできる。目標を達成出来る可能性は十分にある」という冷静な思考と将来の希望を同居させた状態だと僕は思っています。
自分のことを客観的に見据えたうえでポジティブな要素を見つけていくことが自己肯定なのかなと。
何の根拠もなく「俺すげええええ!!!!」って言っている人はただのバカですし、何もやってないのに不安に押しつぶされている人も必要以上のストレスを抱えてしまいます。
そして、うまくいかない時ことがあっても立ち直ってくるのはこの自己肯定感が高い人です。
ちゃんとしたデータは取っていませんが、結構当たってるんじゃないかなと思います。
《成功体験と承認》
このような自己肯定感を育てる大きな要素が成功体験と承認です。
勉強でもそうじゃなくても何でもいいのですが、なにか成功するという経験は非常に大切です。
どんなに小さなことでもいい。
自分の行動の結果が認識できる形で存在すれば。
逆上がりができた、九九ができた、いつもは覇気が無いと言われるけど今日は自分から挨拶をした、上司に仕事を投げられる前に先回りしてやっておいた、いつもはやらないような細かいところまで掃除をした・・・
本当に何でもいいです。
その時に周りの人が認めてくれると更にいいですね。
漠然としたお世辞ではなくて、「こういう努力をしてこういうことができるようになってすごい」「○○がこれをやってくれたおかげで私はこんなに助かった。ありがとう」というように、何がどうすごいのか、ありがたいのかを具体的に言うことがポイントです。
その方がお世辞じゃないことが伝わりますし、よく見てもらっているという感覚も湧いてきます。
本来はこういうことを親や先生がやってくれればいいのですが、友達でも塾の先生でも何でもいいと思います。
成功体験と承認を積み重ねることが自己肯定感を作るのです。
《おわりに》
僕は「どうせ・・・」はなるべく言わないようにしています。
自分の可能性を減らしてしまうかもしれないと思うからです。
だからと言って他人の生き方にどうこう言う権利も無いのかなという気もしますが、頭の片隅に「そんなことを言っていた奴がいた」くらいは置いておいてもらえると嬉しいです。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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それではまた!
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