オリジナリティを創り出せ!教養学習と新奇性の関係は





こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。

この間、行政職員の方に
「もっと新しいシステムを考えてほしい」
と言われたので、しばらく考えてから改めて
「例えばこういうのとか・・・」
と提案したところ、

「前例が無いからなかなか難しい」

と言われてしまいました・・・・

いや、そりゃそうでしょ!
僕が考えた事なんだから前例がある方がおかしいでしょ!
前例通りにやったら行財政改革になってないよ!!!!!

とまあ、こんなことがありました笑

※ご本人にもそういったのでこのブログの存在がバレても問題ありません






《”前例通り”の罠》

もちろんあの人たちも、「新しいことをやろうとしたら前例はない」という事ぐらいわかっています。
わかったうえで、逃げ腰になっているんですね。

行政の場合は先に予算を組みますから、計画段階から「予算が取れる」という事を前提に考えなければなりません。

そして、例年通り、前例通りの事業であればその辺りの交渉は比較的容易なのですが、全く新しいこととなると、どれくらいのスケール感で進めていけばいいのかがわからないのです。
結果として予算審理は難航し、実施に踏み切れないということです。

また、やったことがないことなので、どれくらいの成果が出るのかもよくわからない状態です。
もし失敗したとき、誰がどうやって責任を取るのかということが非常に難しい問題です。
立案者も、実施者も、財政課も、ゴーサインを出す偉い人も、その責任を取りたくないのです。
だから新事業というのはなかなか実施されないのですね。







《それでも世界は回り続ける》

そうはいっても、世の中は待ってくれません。
でも言及しているように、世の中はとんでもないペースで変化しているのです。
誰が昇進するとか部署内での政治力学よりももっと重大な問題がすぐそこにあるのです。

これだけ雇用が流動化して、国境も無くなってきて、人も財も自由に行き交っているこの時代においては、

現状維持をするというリスク
新しいことをやらないというリスク

が存在します。
攻め続けないと負けてしまうのです。
そこに関しては民間も公共も同じです。






《オリジナリティを持っているのか》

農業社会、工業社会の時代は息を潜め、情報が大きな価値を持つようになりました。
食料自給率の低下だとか工業の衰退だなんだと言っても、なんだかんだ物質的生産は量的には十分ありますし、むしろ飽和している状態です。
「速く、大量に作れる」は大した武器ではないのです。

特に情報の価値に関しては量で評価されるものではなく、質が重視されます。
論理的に筋が通っていることは大前提として、その上で新奇性が求められています。

今の時代に「生産性が高い」のは大量の仕事を捌くことではなく、新しいことを生み出すことなのです。

皆がやってないこと、知らないこと、考えもしなかったことを論理的に組み立てて実現することが必要です。それがそのまま付加価値の創出になるのです。






《教養を否定しているのではない》

新奇性が大切だと言うとほぼ必ず、「じゃあ昔の理論は勉強しなくていいのね」みたいなことを言われるのですが、全く反対です。
僕は教養の重要性を否定したことは一度もありません。

ウンチク教養だけではダメだよと言っているのであって教養学習自体が無意味とは一言も言ってないですし、むしろ膨大な教養知識を叩き込んだうえで自分なりに整理して更に新しいものを積み上げろと言っている訳です。







《オリジナルということ》

言うのもバカらしいくらいの当たり前のことなのですが、
既存のものと自分が考えたものの差がオリジナリティになる訳です。

ということは、既存のものを知らないことには自分の考えが新しいかどうかもわからないのです。
そして、過去のもの、現在主流になっているものについての知識が教養なのです。

結局何が言いたいのかというと、莫大な教養学習から差異を創り出してオリジナリティに繋げていくことが必要だということです。








《奇抜だったらいいってもんでもない》

オリジナリティが大切だというと「余計な知識を身につけるより閃きとフィーリングで勝負した方がいい」みたいに思っている人も結構いるのですが、僕はそれにも反対です。

新しさが必要であると同時に、ロジカルであることも必要なのです。
新しければ何でもいいのであれば、そこら辺の幼稚園児をとっ捕まえてアイデアを出してもらえばいいんです。
かなり斬新な案が出てきますよ。

でもそうはいかないだろ、と。

今まで誰もやってなかったけど論理的には筋が通っている
こういうものが必要なんじゃないですか?

オリジナリティは閃きと創造であるとしても、実行過程においてはとことんロジカルであるべきです。







《冒頭の話に戻って》

公務員ならではの特有の問題もあるにはあるのですが、原理的には民間も個人も公共も変わりません。
絶えず学習して新しいものを作らないといけないのです。
それと合わせて、予測の精度を高めつつリスクの取り方も学んでいかないといけないですね。





《おわりに》

既存の知識からオリジナリティ・付加価値を創り出せという話なのですが、いかがでしょうか。
感想や質問は下のコメント欄にお願いします。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
それではまた!



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