アクティブラーニング?知識も無いのに議論するの?
こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。
学校教育の在り方が見直されつつあるようですね。
確かに従来通りの集団授業形式はもう限界が来ていると思います。
参考:教育は変われないのか~集団授業はもはや成立しない~
ここ近年、アクティブラーニングだとか、PBL(project based learning)だとか、色々なことをやっていますね。
確かに従来通りの集団授業形式はもう限界が来ていると思います。
参考:教育は変われないのか~集団授業はもはや成立しない~
ここ近年、アクティブラーニングだとか、PBL(project based learning)だとか、色々なことをやっていますね。
机上の空論だけでなくて、実際の課題をベースに議論をすることが大切だということです。
他人と会話しつつ学習したり、その中でコミュニケーション能力を付けたり、受動的に授業を聞くのではなくて自分で考えたり、ということは確かに大切だと思います。
今までの教育というのは知識の伝達に重きが置かれていましたから、「知識バカ」みたいになってしまったり、無気力状態になってしまったりする例がいくつもあります。
そういう意味では教育改革は絶対にやるべきなんですが。
ですが・・・
- 《基礎知識も無いのに何を議論するの?》
特に義務教育においてはそうなのですが、子供たちはビックリするほど何も知りません。
例えば環境問題について議論するにしても、二酸化炭素を始めとする温室効果ガスの削減についてが話題になっているということさえ知りません。
オゾン層も知らない、酸性雨も知らない、そもそも硫黄化合物や窒素化合物もしらない、っていうかなんなら化合物って何?という状態です。
それも下位層の話ではなくて、普通に5段階の3とか4とかの子の話です。
そんなんでまともに議論が成り立つ訳がないでしょう。
思考力、実践力が大切なのは重々承知ですが、その前に知識が必要だと僕は思いますね。
- 《感情論に陥る恐れ》
知識の無い状態で議論をすると、感情論になりがちです。
「僕はこう思う」
と言えることももちろん大切ですが、具体的な解決を求められている場面ではそうはいかないのです。
あくまで客観的な事実を示したうえで、その結果に対して「僕はこう思う」と言えなければならないのです。
客観的・科学的なデータや理論を持っていないのにどう思ったかを話し合ったところでそれは議論とはいいません。
コミュニケーションの練習くらいにはなるかもしれませんが、科学リテラシーの向上といった学習効果は期待できないのです。
- 《声が大きかったら勝ち?》
基礎理論が入っていないまま議論をすると、議論がおかしな方向に進んでも止めることができません。
だって誰も正しい知識を持っていないのですから、自信をもって発言するなんてことはできません。
そうすると、普段からよく発言するタイプの子、人気のある子、声の大きい子の意見に皆が傾いていく傾向があります。
これでは対話形式にしている意味がない。
皆の知的リソースを出し合って一人で考えるよりも質の高いものを生み出すのが議論の意義です。
- 《話すのが上手いとコミュ力がある?》
コミュニケーション能力、よく聞く言葉ですが、なにをもって「コミュ力がある」というのでしょうか。
僕の雑感ですと、一般的には滑らかにスラスラと話して初対面の人ともスムーズに会話ができる人を「コミュ力高い」と言っているように思います。
それも重要な能力ですね。
特に接客業の人なんかはこの能力が強く求められているでしょう。
でも、これだけですか?もっとありませんか?
人の話を真剣に親身に聴いてくれる人もコミュニケーションが上手と言えますし、口数は少なくても話の要点を的確に押さえて、まさに欲しかった一言をくれる人なんかもコミュニケーションをとっていてすごく楽しいと思います。
コミュ力だなんだというのは勝手ですが、もうちょっと幅広い解釈ができてもいいんじゃないのかなと。
喋るのが苦手だからといって悲観する必要はないし、その人なりの活躍の仕方があると思います。
皆が集まる学校でわざわざ苦手意識を植え付ける必要もないんじゃないですかね。
- 《アクティブラーニングを”やらされる”のも結局は受動的》
受動的に授業を聞いているだけではダメだ、ということはわかるのですが、やりたくもないアクティブラーニングをやらされるのも結局はパッシブなんですよね。
能動的であるためにはやはり自分の意志で「やってみよう。頑張ろう」と思わないと意味がない訳です。
授業の形が変わろうと、それは変わりません。
結局のところ、学習者本人がその気にならないうちは形を整えても意味がないのです。
今必要なのは形を変えることではなくて、どうやって知的好奇心を擽るかということなんですね。
やらされる勉強じゃなくて、自分で考える勉強。
それを支えるのは好奇心しかないのです。
- 《おわりに》
授業形式を見直すことも大いに結構なのですが、もっと根本的な問題がいっぱいあるんじゃないですかね?
特に先生自身に知的好奇心が無いパターンはマジで救いようが無いなと。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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それではまた!
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