学校に行くことは制度に逆らわないことだ




こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。


今まで色んな所で散々教育制度の矛盾を指摘してきました。
有体にいえば「クソだ!!」と言ってきました。

でも、どうやら僕が間違っていたようです。

僕が気付いた重大な事実、それは、

「多くの人間がそのクソを求めている」

ということです。

この間大学で話した子が、
「勉強したいとか楽しいとか思ったことは一度もないけど大学は楽しい!友達にも会えるしサークルも楽しいし、授業中だけ我慢してれば卒業して就職できるし!」
と言っていまして、僕には目から鱗でした。

そういう考え方もあるのか!と思うと同時に彼女のような人がマジョリティーなんだということを理解しました。

そうか、僕は大変な思い違いをしていた・・・



新しい知識の獲得、そして創造。
それが教育の本旨だとすれば、今の日本の教育界は最低レベルまで堕ちているという意見は正しいように思います。
僕はずっとそう思っていました。


でもそうじゃない。
教育、特に日本の学校制度の本旨は「波風立てずに制度に当てはまる人間を育てること」
非合理や非効率には気付かない、或いは気付いても何もせずに幻想を壊さないことが大切なんです。
そして多くの学生が知ってか知らずか進んでその役割を引き受ける。


醒めない夢は現実と同じということです。

非合理や非効率を指摘せずに皆で慣れ合う、そうして大きな混乱を回避している、それが現状だと思います。

それも政府が意図的にそうしようと試行錯誤しているのではなくて、皆が無意識のうちにそれを望んでいる。
だから変わらない。


歴史的に見てもそうですね。
束縛されると自由を求めるのですが、いざ自由になってみると何をしたらいいのかわからなくなります。
人々は誰かに従いたくなる。

従うのが「独裁者」から「世の中の常識」に変わっただけの事です。

意思決定を、それに伴う責任を、避けたいと思うのはある種自然な感情です。


でも、それでも僕は、このままじゃダメだって思ってしまうんです。
なにか少しでも変えていかないと、少しでも行動しないと、というように。
ルールがおかしいならルールを変えなければ、と。
そういうところが思春期おじさんなんでしょうけど。
でもそれが僕なんです。


ただ問題があるとすれば、「みんな一緒な感じでぬくぬくとやっていきたい」と思う人の自由を僕が侵害する権利は無い、ということですかね。
僕が何かをすればそれが嫌な人も出てくる。
その時どう責任取るん?ってなるとなかなか難しいです。


でもまあ、必ず自分なりに答えを出しますよ。
また随時報告します。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
感想や質問は下のコメント欄にお願いします。
それではまた!


このエントリーをはてなブックマークに追加

こちらもどうぞ↓
言葉は現実になる。認知的不協和を利用して自分を変えよう
サッカー香川真司選手に学んだ生き方のヒント
学校と家庭の連携?ふざけるなよ!子供を潰す気か!
生き方なんて誰からも指導されなくたって・・・
不自由なんか無いこの世界で、どんな自由を願ったらいい?

















































こちらもどうぞ↓


コメント