知識は無駄にならない!発想力を生み出すための教養学習





こんにちは、こんばんは。
思春期おじさんです。

教育政策の歴史を辿っていくと、やれ頑張れと言ったり、詰め込みはダメだゆとりが大事だ、ゆとりは失敗だ学力低下だ、と右往左往しています。

2020年の入試改革においても、知識偏重を改めて発想力や表現力を測る記述形式になるのだとか。

それ自体は素晴らしい取り組みですし、ドンドン良い入試問題を考えていけばいいと思うのですが、それによって「詰め込みはダメだ」「これからは知識は必要ない」と考えてしまうのは大いに問題だと思います。

詰め込みがダメなのは、訳も分からず詰め込むのがダメなのであって、理解してインプットした知識であれば多いほど良いです。


「最近は何でも検索したら出てくるから知識なんていらない」という極端な人もいますが、僕はそうは思いません。
やはり自分で苦労して知識を身に付けるという経験は大切ですし、スマホを取り出して取り出して検索しているより事前に知っている方がスピーディーでもあります。
いつでもネットワーク環境があるとも限らないですし、スマホが故障する可能性もあります。

ある程度は知識を入れておくのが得策でしょう。





《あのツイートは》

頭の良い人と悪い人のものの見方の違いというのが一時話題になりました。

これができたら頭がいい、できない奴は頭が悪いという単純なものではないと思いますが、一側面は捉えていると思います。

連想の速さももちろんですが、連想するには事前に知識を持っていることが絶対条件です。
そもそも万有引力の法則の逸話を知らなければリンゴと万有引力が結びつくこともない訳です。
その場で調べていたのでは間に合いません。

知識を持っているのが前提で、更に臨機応変に引き出すことができるから「この人は頭がいい」と思われるのです。






《分析能力に差がつく》

例えば旅行に行ったとして、そこで見る建物や風景に対して何を思うでしょうか。

「すごい」「綺麗」「迫力」
といった感想で終わる人が多い一方で、様々な分析を試みる人もいます。

地理や歴史に詳しい人であれば、何時代にこんなことがあってそれからこの地域ではこんな産業が盛んで・・・とか
建築に詳しい人であれば、この建物は○○方式で・・・とか
経済学や経営学をやっている人であれば、この産業の付加価値は、流通経路は、減価償却は・・・とか
そういった事を考え始めるのです。

そんな旅行楽しいん?という疑問はあるにしても(僕はそういう人が近くにいると楽しいです!)、全く同じものを見ていてもそれによって得られる思考の深さが変わってくるんですね。


この違いがどこからくるのかという元を辿っていくと、結局は知識量の違いがある訳です。
これも旅行に行ってから身に付くものではなくて、それまでの人生の中でそれだけの努力をしてきた人だけが得られる恩恵です。






《発想力トレーニングについて》

もちろん知識だけ持っていてもいざという時に使えないと意味がありません。
ただの「ウンチクおじさん」は役に立ちません。
そういう意味では発想力や表現力を鍛える必要はあります。

でももっと根本的な問題として、「知らないことは閃かない」という現実を直視すべきでしょう。

例えば極端な話として、「スマホのもっと効果的な活用法考えよう!」という話をしているのに「スマホって何ですか?」って言ってたらもう話にならないですよね。

或いはもう少し現実的な例で言えば、「経済政策について議論しよう」という時に、「GDPってなんですか?」「有効需要ってなんですか?」というレベルの人がいると話が進みません。

スマホとは何か、現在の利用状況はどうか、既存のアプリはどんなものか、
そういった知識を持っていて初めて今後はどうしようかなあと考えることができるのです。

発想力や表現力を生かすためにはまず現状を知ることが第一です。






《新しい発見をするには》

繰り返しになりますが、閃きの天才であっても全く知らないことに関しては閃きません。
(少ない手掛かりから答えを出す人はいますが、ゼロからは閃きません)

既存の情報や主流となっている理論を手元に持っているからこそ、例外的な出来事や特異な事例に気付く事ができるのです。
逆に既存の理論を知らない人には今自分が見たその出来事が例外的な事かどうかの判別さえつきません。

自分が思いついたことが新しい事なのかわかるためにも知識のインプットは不可欠です。





《どちらが大切か、ではなくて》

冒頭で触れた教育制度の話に戻ってくるのですが、確かに知識だけいっぱいあって実際は役に立ってないという人がたくさんいるのは事実でしょう。
知識偏重型、なんて言葉も使われました。
発想や表現が大切というのもよくわかります。

ですが、改革というものは往々にして少し逆振りし過ぎるもので、逆に「知識軽視」に陥ってしまわないかというのが僕の心配です。

知識と発想はトレードオフではなくて、むしろ相乗的に高めていけるものです。
どちらが大切か、というものではなくて、インプットしながらアウトプットを考えることは十分可能です。
逆に知識だけ/発想だけを高める方が余程難しいです。
知識が増えれば使いたくなりますし、何か思いついたら更に情報収集したくなるものです。




《おわりに》

今回の話を簡単にまとめると、知識軽視は良くないよ、インプット・アウトプット両方大切だよ、ということなのですが、いかがでしょうか。
ご感想、ご質問はコメントかメールをお願いします。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
それではまた!



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