シャッター商店街を守れ?政策課題と第三種過誤



こんにちは、こんばんは!
思春期おじさんです。

近年、昔ながらの商店街ってあまり見なくなりましたよね。


日本各地で商店街に入っている個人商店の経営が立ち行かなくなり、閉店しています。
そういうお店が商店街内にいくつか現れると、その商店街全体への客足が遠のき、他のお店も連鎖的に経営不振に追い込まれます。
そうやって空き店舗が増加して、いわゆる「シャッター商店街」と化したところが日本中にいくつもでき、現在に至ります。




なぜそんなことになったのかというと、簡単に想像がつくのですが、スーパーなどの大規模小売店が増加したからです。


それ自体は別に良いことでも悪いことでもなくて、スーパーマーケットを作るという発想に至った経営者がすごい、それだけのことだと思います。



ただ、長年に渡って地域の暮らしを支えてきた商店街にとっては堪ったもんじゃない。
大手スーパーに対する抗議が日本中のあちこちで起こりました。


政府もこりゃ大変だと法改正や振興政策を講じました。

ここでは「商店街などの中小小売店 vs スーパーなどの大規模小売店」の対立という構図でとらえ、どうすれば中小小売店を守れるか、ということを中心に議論が進められました。







≪大規模小売店舗法(大店法)≫



1972年、大規模小売店舗法という法律が施行されました。

大店法では、大規模小売店の店舗面積、開店日、閉店時刻などの規制が記述されました。(地元商工会の意見が多分に加味されたようです。)

これによって大規模店の経営者は地元商工会との衝突を避ける為に、中心市街地をあえて避け、郊外に出店しました。






≪大店法→大規模小売店舗立地法(大店立地法)≫

2000年、消費者のニーズの変化や環境意識の高まりを考慮して、大店法が廃止され、大規模小売店舗立地法が施行されました。
ここでは来客車両による騒音や店舗から出るゴミの処理なども審査対象になりました。
同時に面積規制が緩和されました。


こうなるとますます中心市街地を避けて郊外に大型店舗を構えるという動きが加速します。
そしてお客さんはその郊外の大型スーパーに流れて行きました。
都市部での商店街vsスーパーという構図ではなくて、そもそもお客さん全体が郊外に流れていってしまいました。
車などの交通手段が発達してきたことや住宅が郊外に広がっていたことも大いに関係しています。


その結果どうなったかは冒頭で述べた通り。

かつての中心地は空洞化し、シャッター商店街の完成です。

結果的に、政策が商店街の衰退を早めてしまったとも言える訳です。








≪第三種過誤≫

この一連の流れを見て、どこから方向性を誤ったかわかりますか?

それは、商店街 vs スーパーの対立構造として問題を定義して対策を練ったことです。

結果を知っているから言えることですが、もっと早い段階で中小店とスーパーの共存・共栄の道を探るべきだった。

お互いのターゲット層や強み・弱み、流通経路やお客さんの動線を分析して、お客さんにとって「どちらも必要」という状況を作るべきだった。


対等に対決させようとするから中小店が負けるんです。

多少の中小店優遇政策をとったところでスーパーの規模の経済(生産規模の拡大に伴い,収益性が向上すること)には勝てず、財政支出だけが膨らむ訳です。

統計学の言葉では、正しいことを間違っていると思ってしまうことを第一種過誤、間違っていることを正しいと思ってしまうことを第二種過誤と言います。

今回のような場合、問題設定を間違ったまま解いてしまうという意味で第三種過誤と呼ばれています。






《もう一歩踏み込んでみよう》


更にもう一段階前に戻るのですが、そもそも税金を使ってまで中小店を守る必要があるのでしょうか。

中小店と比較して大型スーパーの良いところを挙げるとすれば、

・価格が安い
・安定した品質
・機械的でスピーディーな対応

といったところでしょうか。


これは僕の個人的な感覚ですし、異論があって当然だと思います。

それに、商店街の小規模店舗にも人情味溢れる接客や顔なじみの安心感といった良いところがあります。

ただ、これだけ大型スーパーが圧勝している現実を見ると、現代人はその昔ながらの”味”にあまり関心がないのではないかと推測できます。


もはや社会が”昔ながら”を求めていない。
一言で言えば、需要が無い。
このままでは経営が成り立たないという現実にもっと早く気付くべきでした。


少なくとも価格面ではスーパーの圧勝ですし、中小店はそれを含めても余りある魅力を持っている必要があります。

それが出来なかったところというのは企業努力が足りなかった可能性を考えないといけないですし、企業努力が足りなかったのであれば倒産という結果も起こるべくして起こったと言えるでしょう。

その「社会が求めていないもの」を守るために税金を使う必要があるのか、というところから検討すべきだったと僕は思います。

そういう意味でこの例の場合、二重に問題設定を誤っていたといえるのではないでしょうか。





《おわりに》
今回の記事は、正しく問題を定義・設定するのは意外と難しいよ、ということを伝えたくて書きました。
いかがでしたでしょうか。
感想やリクエストは下のコメント欄にお願いします。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。


それでは失礼いたします。



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