境界が溶けゆく激動の世の中で大切な力について
最近あらゆるものの境界が溶けてきていると感じています。 何か具体的な線じゃなくて人生一般の抽象的な話なんですけど、ちょっと聞いてください。 《人生のフェーズを区切る意味はあるのか?》 20年30年前だったら 人生の中で 「 勉強する時期」、「仕事をする時期」、「老後を楽しむ時期」、みたいな感じで人生の中で区割りがはっきりとあったと思うんですけど、今って その境界がどんどん溶けてきてます よね。 学生だってもちろんアルバイトしながら学校行ったりするし、社会人でも仕事しながら勉強してるし、どっちがどっちである必要っていうのはあんまりなくて、 何て言うのか、肩書きが何であってもいろんなことができますし、むしろどっちもがどっちもやらないといけないみたいな、そういった側面は間違いなく出てきています。 ついでに言えば定年 制度 もなくなるみたいな議論が最近されてますけれども、 老後を楽しむみたいなゆとりのある時間っていうのはそんな多くはなくて、 勉強と仕事と趣味っていうところの境界がどんどんなくなってきてるなっていう思いはあるんですね。 だから人工的に境界を作る意味もそんなにないなっていう気はしてて。 極端な話、例えば 3月31日と4月1日で自分の中で何かが変わったわけでもない のに、ここまでは学生です、ここからは社会人ですって分ける必要性ってあまりなくて、 「自分が変わりたいって思ったタイミングで変わったらそれでいいんじゃないのかな」という思いは自分の中にあるんですよね。 《結局自分は何者なのか》 だから、肩書きがどうこうじゃなくて、 「 自分はこういう人間です」っていう 個々人のアイデンティティ っていうのが今後はますます求められていくようになっていきます。 「自分はこの会社の人間です」とか、「この学校の人間です」っていうことしか喋ることがないっていう人は今後生きにくくなっていくんじゃないかなって思って。 これは大いに 自戒の意味を込めて書いて いるんですけれど、自分自身もそういった不安をすごく感じてて、いわゆる所属っていうのを欲しがってしまいます。 浪人してるときなんかは学校も行ってないし就職もしてないし、肩書...